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「西欧的中世」考

 投稿者:玄太郎  投稿日:2013年 8月13日(火)23時20分23秒
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   試練 (しれん)と言う言葉がある。信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと、その際に受けることがある苦難を指すという。 一定の高みに昇るため修行を重ね、伸びきって来た技能がその人にとり、これ以上上に進めないと言う状況に達した際に一種の諦観にも似た感情を帯びる、その停滞感を感じたときに、その状況を突破しようと藻掻く行動、及び思考を指すのではないかと筆者は思慮する。 私はその域に達しようと努力するものの、その麓にすら立てていない。 それなのにそれを論ずるのは不遜の謗りを免れ得ない。 それでも夢想するのは許されるだろう。 よく達人はこれを経ることによりその域に達すると言われる。 その際には神が意識の中に光臨(降臨)し、あたかも一体化したかのように他者から見え、正に光り輝く存在になる。 これが高みとと言われる領域で余人が冒すことのできない存在となる。 つまり他者から仰ぎ見られる位に達したと言える。 但しその精進が足りなくしてその存在と見られる場合には小さな存在として認識される。 精進が多くてその高みに達したらその度合いにより大きな存在となり、その存在感は増す。但し宗教上でのそれは絶対神が居る場合はその高みになることは無く、その僕(しもべ)の位置に列せられるだけである。 西洋の中世は当にその状況にあり、いわゆる聖職者が権威を持ち宗教的権力を握った。それに対し武力で精神世界以外の権力を握ったのが王と呼ばれる存在である。 いわゆる「聖」と「俗」の分化である。その何れの世界においてもその存在は精進の度合いによる存在感はある。霊的な存在の方である「聖」は初め「俗」に圧倒される存在であった。その状況はローマ時代の半ばがそうであった。 民衆が「聖」を支持し、その要求を拒みきれずにそれを受け容れた時にその地位は逆転していき、「聖」が「俗」を圧倒するようになる。西欧世界においてローマ時代が終わった時にはしばらくの間、その世界は混沌の状態に陥り、地域権力が分立していくことになる。 それの存在を自ら保障するために「神」なる存在から承認してもらったと主張することとなる。これが「王権神授説」と言われるものである。その時「聖」の方はと言うと幾多の会議を経て「法王」と呼ばれる存在を創りだした。 しかしのその存在は「神」の僕という存在と主張している。 何れも「しもべ(僕)」と言う存在である。 このような「権力」が存在していたのがいわゆる「中世」である。 その中心の思想を端的に言えば、絶対的存在に対し「忠誠」を誓い、それに献身的に奉仕することで自らの存在を保障してもらうという「契約」の概念だったと言える。 つまり完全な他者からの自立という観念は存在し得ず、「献身」と言うのが合い言葉だったと言える。 しかしこの「契約」と言う行為は片務的ではない。必ず力関係は存在するにせよ必ず合意と言うものが要る。 ここに中世の社会を打破する力が潜んでいたのである。 中世の終わりの頃ニーチェが「神は死んだ」と叫んだ。 この小さな叫びはやがて人々の賛同を得、共通認識化し、一般化した。 ここからフランス革命の理念である「自由、博愛、平等」が生まれることになる。 神の桎梏から完全に逃れることはことはなかったにしろ初めて自ら創りだした存在である「神」から自立するに至ったと言える。 長い試練の時代が中世だったと言える。
 1000年以上人々の精神世界を支配した思想はその血肉と一体化していたから、神が死んでから数百年を経てもなおそこから脱していない。これが先進的と言われる西欧世界の実態である。
 
 
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