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2012ロンドンオリンピックが終わった。

 投稿者:玄太郎  投稿日:2012年 8月14日(火)16時31分29秒
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  4年に一度のスポーツの祭典が終わった。2012年オリンピックロンドン大会が終わった。 あーこれで睡眠不足から脱出できそうだ。終わったのがお盆の最中で良かった。今回のオリンピックは我が国は金メダルの数は男子柔道の不振により目標より随分少なかったもの史上最高のメダルを獲得した。しかもこれまでメダルの獲得ができなかった分野にまでその獲得の裾野が拡がったことは評価できる。メディアはナショナルトレーニングセンターの設立とその活用そしてそれを支援する施設の存在が効果を現したと評価している。今後今回国によるマルチサポートの対象にならなかった団体にも支援の幅を広げることによってさらにメダル獲得の幅が拡がるだろうと有る新聞には書かれている。それもそうだろうが学校教育の場で知育・徳育の他に体育という柱が有るはずだ。 そのバランスを等しく教育することが本来の目標であるはずだ。にもかかわらずこれまでは徳育は重きを置かれず学校に寄り残りの二つのいずれかに偏重されてき、私立学校においてはそれを特長の一つとして助長し、売り物にしてきたきらいがある。今回メダルラッシュでスポーツによる感動を覚えた人が多いだろう。メダリストだけあって立派なコメントをする。しかし彼らと同世代の若者がテレビで何某かのコメントを求められたとき必ずといって出るのが「~思うので」という言葉である。私などの年輩には聴いて疑問に思う事もあるのも事実である。それはこれまでの教育の成果と言える。それはとても賞められるものではない。スポーツに600億円超の金額で道半ばとは言え有る程度の成果が上げられたのである。学校教育に提供されている予算はこれよりはるかに多いにそれが充てられている。でもその成果がこれは全く意味を成さない。これまでの失策は取り返せない。オリンピックが終わったイマ、国民の教育に意をむけるべきだろう。教育レベルを上げ、世界の人々から尊敬される人格を持つ国民を育て上げることに関心を持ち、そのための議論を熟議すべきではないだろうか。 その後で国民はその子弟に高潔な人格を有する教育を附すべきである。 しかしそれのみにより立派な人格の完成を期すことはできない。 学校教育においても上に挙げた知・徳・体の研鑽に励むことに依り人類の幸福に寄与できる人間を育てるべきではないだろうか。
     平成24年8月13日午後6時59分
 
 
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