teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


龍宮神社・鹿児島

 投稿者:けろ  投稿日:2016年12月10日(土)13時40分43秒
返信・引用
  豊玉姫(乙姫)を祀っている神社 アカウミガメの産卵地でもある。
多くの参拝者は貝殻に願いを書き込み奉納する。
ここから見る開門岳の姿も美しい
 
    (管理人) けろ さん
 ありがとうございます。
 
 

”知ってます?~”て言われて

 投稿者:玄太郎  投稿日:2015年10月 1日(木)16時48分56秒
返信・引用
   ・丁寧な日本語を知ろう
 くだらないと思われるかも知れないが私の拘(こだわ)るのが若者の日本語である。 若い女性タレントの登場するCF(コマーシャルフィルム、一般的にはテレビCM)で”知ってます~~”というのをよく見る。 正しくは”知っていますか?”であり丁寧に言うと”ご存じですか?”となる。 私が”知ってます~~”というフレーズに嫌悪感を抱くのは若いタレントが嫌いなからではない。 むしろ社会現象を観察する対象としては絶好のものである。 その言い方というか伝えようという姿勢がなってないと感じるからなのだ。

 ・必要な敬語
 それを上から目線という立場からの発言として捉えるのが私の属する年代の性(さが-いつもそうであること。)なのだ。 社会に参加する以前に大学生であった頃から厳しく話し方について、特に敬語の使い方について訓練された世代なのだ。 明治時代生まれの名誉教授や若くても昭和初年までの生まれの教授がその頃の大学で教鞭を執っていた。 それに教えを乞うのだから必然的に敬語を使う必要があった。 だから尊敬できる人から見下されてモノを言われるのは堪(こた)えないが自分より”(格)下”の人間から上から目線で”ズケズケ”と応えを強要されるのが堪(た)えられないのだ。

 ・日本語の特質
 言いまわしの違いで相手を不快にさせることもできる日本語は話す内容を瞬時に整理しておく必要があるから思考する訓練にはもってこいのモノだ。 その話し方に興味を持って訓練していくとその多様性に新鮮さすら感じるだろう。

 ・命を守るかもしれない言葉
 この奥行きの深い言語は少し時代を遡って見ると古語と呼ばれるものになる。 はじめてそれを目にすると、外国語のような感覚になるかも知れないが少し辛抱して学んで見るとその響きから来る個々の言葉の意味の深さと心地よさに打ち震える事になるかも知れない。 それは人生を切り開くために用いられた言葉でありそれ故に洗練されてきた歴史を持つ。 平安時代の男女は身分が上がるにつれ、顔を見ないで、前評判を元に相手にコンタクトをとる手段として短い書簡を繰り返し送った。 そのうちの感性に響いたそれに対して返事を返した。 それが交際のきっかけとなるのである。 そして順調に愛が育ってゆけばやがて家族を形成することになるが当時は妻問婚と言って夫が妻の家に通うと言うのが当時の結婚の形式なのである。 邸(やしき)の門の脇の前に盛り塩をしておくのは夫の牛車の牛がそれを舐めるために寄るかもという祷(いのり)が籠められているという話がある。 夫が”妻”のもとに通わなくなれば、妻は経済的基盤はもとより結婚に伴うすべてを失うことになりそれに従う者までが生活の危機に瀕(ひん)する事になるから必死でつなぎ止めようとするそのための大きなツールとなるのが洗練された言葉で綴られた短い手紙であり、その思いを凝縮した31文字からなる短歌(和歌)なのである。 生きるための言葉であり、活き活きとしたものでありながら控えめで十分意味を持たせたそれを活用できなければ、”生活”できなかったのである。 冒頭のタレントのように軽々しく言葉を投げかけるなんて以ての外だ。
 

弓道場について

 投稿者:ナガヤタイチ  投稿日:2015年 5月15日(金)18時19分36秒
返信・引用
  こんにちは、突然すいません…
ご存知であれば教えていただきたいことがございます。

昭和40年前後、当時まともな弓道場が大学になかったため、
私の大学の先輩方が高取山まで練習に通っていたという記録がありまして…
その弓道場というか施設は、今もあるのでしょうか?
あるならば、どのあたりにあるのですか?
もう存在しないなら、どのあたりにあったのでしょうか?

よろしくお願いいたします。
 

妙法寺の弾丸道路について

 投稿者:いそしず  投稿日:2013年 8月28日(水)18時01分33秒
返信・引用
  玄太郎様、はじめまして。ブログ「いそしずのライナーノート」を製作しております「いそしず」と申します。身近な歴史スポット、(妙法寺の)弾丸道路のページを見て、訪問致しました。突然の訪問をお赦しください。現在は、道路が開通して、面影はなくなりましたが、当時の記録は大変貴重で参考になりました。(妙法寺の)弾丸道路につきましては、当方の調査にて少し背景が判明しつつありますので、僭越ながら、お知らせ申し上げます。
昭和15年から18年にかけ、この地区ではもう一つの国家事業である、弾丸列車(現在の新幹線)の建設計画が進行していたと考えております。そして、その通過予定地点は、この弾丸道路の建設跡の位置と重なっております。ここは弾丸道路と弾丸列車の立体交差予定地点であり、そのため、この地区の、この区間のみ、弾丸道路の建設が急がれたと考えております。詳しくは、当方のブログ記事をご覧下さい。
(本年4月の記事↓)
http://iso4z.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-19b2.html
(本年5月の記事↓)
http://iso4z.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-27d2.html
何かの参考になれば幸いでございます。また、当ブログ記事作成におきましては、玄太郎様のページも大変参考になりました。本当にありがとうございました。この掲示板の趣旨にそぐわないようでしたら、投稿を公開して頂かなくても大丈夫です。突然の訪問、失礼致しました。今後とも宜しくお願い致します。

http://iso4z.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-19b2.html

 

「西欧的中世」考

 投稿者:玄太郎  投稿日:2013年 8月13日(火)23時20分23秒
返信・引用
   試練 (しれん)と言う言葉がある。信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと、その際に受けることがある苦難を指すという。 一定の高みに昇るため修行を重ね、伸びきって来た技能がその人にとり、これ以上上に進めないと言う状況に達した際に一種の諦観にも似た感情を帯びる、その停滞感を感じたときに、その状況を突破しようと藻掻く行動、及び思考を指すのではないかと筆者は思慮する。 私はその域に達しようと努力するものの、その麓にすら立てていない。 それなのにそれを論ずるのは不遜の謗りを免れ得ない。 それでも夢想するのは許されるだろう。 よく達人はこれを経ることによりその域に達すると言われる。 その際には神が意識の中に光臨(降臨)し、あたかも一体化したかのように他者から見え、正に光り輝く存在になる。 これが高みとと言われる領域で余人が冒すことのできない存在となる。 つまり他者から仰ぎ見られる位に達したと言える。 但しその精進が足りなくしてその存在と見られる場合には小さな存在として認識される。 精進が多くてその高みに達したらその度合いにより大きな存在となり、その存在感は増す。但し宗教上でのそれは絶対神が居る場合はその高みになることは無く、その僕(しもべ)の位置に列せられるだけである。 西洋の中世は当にその状況にあり、いわゆる聖職者が権威を持ち宗教的権力を握った。それに対し武力で精神世界以外の権力を握ったのが王と呼ばれる存在である。 いわゆる「聖」と「俗」の分化である。その何れの世界においてもその存在は精進の度合いによる存在感はある。霊的な存在の方である「聖」は初め「俗」に圧倒される存在であった。その状況はローマ時代の半ばがそうであった。 民衆が「聖」を支持し、その要求を拒みきれずにそれを受け容れた時にその地位は逆転していき、「聖」が「俗」を圧倒するようになる。西欧世界においてローマ時代が終わった時にはしばらくの間、その世界は混沌の状態に陥り、地域権力が分立していくことになる。 それの存在を自ら保障するために「神」なる存在から承認してもらったと主張することとなる。これが「王権神授説」と言われるものである。その時「聖」の方はと言うと幾多の会議を経て「法王」と呼ばれる存在を創りだした。 しかしのその存在は「神」の僕という存在と主張している。 何れも「しもべ(僕)」と言う存在である。 このような「権力」が存在していたのがいわゆる「中世」である。 その中心の思想を端的に言えば、絶対的存在に対し「忠誠」を誓い、それに献身的に奉仕することで自らの存在を保障してもらうという「契約」の概念だったと言える。 つまり完全な他者からの自立という観念は存在し得ず、「献身」と言うのが合い言葉だったと言える。 しかしこの「契約」と言う行為は片務的ではない。必ず力関係は存在するにせよ必ず合意と言うものが要る。 ここに中世の社会を打破する力が潜んでいたのである。 中世の終わりの頃ニーチェが「神は死んだ」と叫んだ。 この小さな叫びはやがて人々の賛同を得、共通認識化し、一般化した。 ここからフランス革命の理念である「自由、博愛、平等」が生まれることになる。 神の桎梏から完全に逃れることはことはなかったにしろ初めて自ら創りだした存在である「神」から自立するに至ったと言える。 長い試練の時代が中世だったと言える。
 1000年以上人々の精神世界を支配した思想はその血肉と一体化していたから、神が死んでから数百年を経てもなおそこから脱していない。これが先進的と言われる西欧世界の実態である。
 

雑穀

 投稿者:玄太郎  投稿日:2012年11月 1日(木)08時54分0秒
返信・引用
   雑穀とはなんと失礼な呼称だと思いませんか。米麦が尊重され主食と尊称されているのに対しその落差は甚だしい。古来から五穀と呼ばれた米以外の稗・粟・麦・粟・大豆・小豆(『古事記』)、 麦・粟・稗・豆(『日本書紀』)はそれなりに尊重され昭和初期に米の増産に成功するまで並列もしくは米に準ずる地位を占めていた。 江戸時代にサツマイモ、明治時代にジャガイモが外国から導入されるまで日本人の食生活を支えてくれた作物なのである。『雑』という字の持つ劣のイメージはその感謝の念を含まないばかりか”エエ加減さ”を強調する響きさえ想起するのは私だけだろうか。 ~穀米と言って米より価格の高い”雑穀”入りの商品が販売されている。 雑穀と一括りにしないでそれぞれの本来の名称を用いようではありませんか  

2012ロンドンオリンピックが終わった。

 投稿者:玄太郎  投稿日:2012年 8月14日(火)16時31分29秒
返信・引用
  4年に一度のスポーツの祭典が終わった。2012年オリンピックロンドン大会が終わった。 あーこれで睡眠不足から脱出できそうだ。終わったのがお盆の最中で良かった。今回のオリンピックは我が国は金メダルの数は男子柔道の不振により目標より随分少なかったもの史上最高のメダルを獲得した。しかもこれまでメダルの獲得ができなかった分野にまでその獲得の裾野が拡がったことは評価できる。メディアはナショナルトレーニングセンターの設立とその活用そしてそれを支援する施設の存在が効果を現したと評価している。今後今回国によるマルチサポートの対象にならなかった団体にも支援の幅を広げることによってさらにメダル獲得の幅が拡がるだろうと有る新聞には書かれている。それもそうだろうが学校教育の場で知育・徳育の他に体育という柱が有るはずだ。 そのバランスを等しく教育することが本来の目標であるはずだ。にもかかわらずこれまでは徳育は重きを置かれず学校に寄り残りの二つのいずれかに偏重されてき、私立学校においてはそれを特長の一つとして助長し、売り物にしてきたきらいがある。今回メダルラッシュでスポーツによる感動を覚えた人が多いだろう。メダリストだけあって立派なコメントをする。しかし彼らと同世代の若者がテレビで何某かのコメントを求められたとき必ずといって出るのが「~思うので」という言葉である。私などの年輩には聴いて疑問に思う事もあるのも事実である。それはこれまでの教育の成果と言える。それはとても賞められるものではない。スポーツに600億円超の金額で道半ばとは言え有る程度の成果が上げられたのである。学校教育に提供されている予算はこれよりはるかに多いにそれが充てられている。でもその成果がこれは全く意味を成さない。これまでの失策は取り返せない。オリンピックが終わったイマ、国民の教育に意をむけるべきだろう。教育レベルを上げ、世界の人々から尊敬される人格を持つ国民を育て上げることに関心を持ち、そのための議論を熟議すべきではないだろうか。 その後で国民はその子弟に高潔な人格を有する教育を附すべきである。 しかしそれのみにより立派な人格の完成を期すことはできない。 学校教育においても上に挙げた知・徳・体の研鑽に励むことに依り人類の幸福に寄与できる人間を育てるべきではないだろうか。
     平成24年8月13日午後6時59分
 

観光地探索ツアー

 投稿者:玄太郎  投稿日:2012年 5月29日(火)02時30分21秒
返信・引用
   一昨日、観光地ツアーのガイドボランティアをした。公的施設の公募で選ばれた20名ほどの人達をほぼ同数のスタッフとボランティアで案内するものである。せっかく選ばれたのにこれなかった人達がいる反面どうしても参加したいと枠外で少し離れてついてくる熱心な人もいた。その人は旅行保険の関係でツアーの構成員には含めない。スタッフ側には自ずと様々な役割分担がある。受付、救護、安全、ポイント解説、全体指揮等である。ツアーの内容は13ヶ所のツアーポイントを巡るものである。 途中で設定されたツアー先の厚意で設定された茶屋や臨時観光施設で地元の歓迎を受けた。ツアーポイントの半分をスタッフが行い残りをボランティアスタッフが解説した。私もその一つを担当させて貰う予定になっていた。スタッフ側の集合はツアー開始の40分前の午前9時20分。私はその五分前にそこに着いた。既にスタッフに一部は集まっていた。初夏にもかかわらず当日スタッフとして識別されるためにボランティア組織の制服の着用を義務づけられていた。この日の天気予報は晴れだが気温が真夏並みに上昇するというものだった。 当然朝から日差しがきつく終日肘まで捲り上げていた腕は帰宅した頃には真っ赤に焼けてていた。昼食はツアーポイント中最高地点に位置する神社で取った。上にも取り上げたが臨時の茶屋が設置され町おこしの人々により歓待を受けた。 神社総代の方により神社の縁起や地域の町おこしの取り組み等のお話しをしていただいた。 地元の揺るキャラのラベルを貼ったサイダーやソフトクリームを購入することができ一息つけた。昼食のあとのデザートとして美味しかった。そこから見渡す眺望は素晴らしく良く眼下に拡がる大都市の街並みをすべて納めるほどができるほどだった。かの歴史上の偉人が此処に立ちそれを眺めたと思うと感慨深いものがある。その後ツアーは順調に進み、スタッフやボランティアスタッフの解説も快調行っていった。最後から2番目が私の解説する場所だった。今次2番目の高さにある神社に至る行程は長くだらだら坂があった。ツアーも後半になり全員が疲れてくる頃である。そこから数百m降りたところが私のお役目を発揮する場所だった。後述するように反対の意味で解説者冥利に尽きるとも言える。それは、 それまでのそこについて書かれた説明はシンプルで特に特徴がないものだった。メリハリがきいてないと思っていた。それの解説をせよとの要請である。はたと困った。といいつつ指名を受けた以上否とは言えない。そこでそれまで蓄積したものの中から選択しそれまでの解説に付け加えることにした。これまでのものなら一分間も持たないものがほどよい五分超のお話しをすることができた。最終地点は繁華街近くにある神社だった。 神社の宮司さんによる丁寧な解説を受けた。ほぼ予定通りの時間にツアーは解散となった。
 

数百人の前で

 投稿者:玄太郎  投稿日:2012年 5月21日(月)20時20分19秒
返信・引用
  5月の連休のある日、観光ボランティアの仕事でツアー客相手にさる神社の由緒とある人物との関わりの話を行った。巡拝ツアーの一カ所だったので話を聞きにどんどん押し寄せてくる。 普通だったら忽ちアガッてしまうだろう。 そこはそここれまでの講演の経験がモノを言って15分間ながら無事話し終えることが出来た。当日は朝早く天が降ったので晴れていればこの数倍の人達の前で話をする予定だった。良い経験になった。  

Re: 金環日食

 投稿者:玄太郎  投稿日:2012年 5月21日(月)20時10分21秒
返信・引用
  > No.1728[元記事へ]

けろさんへのお返事です。

> 神戸にて
けろさん ありがとう御座います。
ことのほか眩しかったですね。
 

レンタル掲示板
/102