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全国十三カ所の国立療養所を退所し、一般社会で生活するハンセン病回復者が増えている。しかし、生まれ故郷に戻った人はわずか。今なお残る社会の偏見・差別に本人や家族がさらされるのを恐れているからだ。「回復者を温かく古里に迎え入れよう」。そんな地域の取り組みが必要とされている。 (市川真)
宮崎県延岡市。日野弘毅さん(75)宅の周りの田畑は秋の実りで彩られていた。日野さんを囲むのは地域の人や老人ホームで暮らすお年寄り、支援する看護師ら十数人。週一回、恒例の昼食会の風景だ。
「日野さん、べっぴんさんに囲まれて」とある女性。「生まれて初めてやわ」と日野さんが応えると爆笑が起きた。「すべての人に感謝」と日野さんはうれしそうだ。
十六歳の時、鹿児島県鹿屋市の国立療養所星塚敬愛園に強制隔離され、半世紀以上を過ごした。途中で二度、古里の延岡を訪ねたが、実家はなくなっていた。大阪府内に住む弟に電話すると「家は焼かれた」。その言葉だけで何が起きたのか分かった。
社会復帰が生きる目標だった。「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟で原告団の先頭に立っていた日野さんは二〇〇一年に勝訴、〇三年古里に戻ってきた。市が特別に予算を組みバリアフリー化してくれた民間アパートで、愛犬「パグ」と平和に暮らした。
ところが二年前、脳梗塞(こうそく)の発作で寝たきりに。医師から回復は見込めないと言われたが、支援者たちが今の家に連れてきてくれた。自然に囲まれた暮らしで、日野さんはみるみる回復し、今では少しずつ歩けるようになった。
市内に住む妹との交流は今もない。日野さんは「顔を合わせにくいんじゃないでしょうか」。両親の墓を建て、月に一度は線香をあげに行く。
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国は違憲判決を受け〇一年、ハンセン病回復者に対し隔離期間などに応じて補償金を支払い、〇六年度からは生活のための給与金も毎月支給している。
公営住宅の優先入居などで回復者を支援する自治体もあるが少数で、古里に帰る人はごくわずか。日野さんは「長い強制隔離ですごく痛めつけられ、帰りたいという気持ちを出せなくなっている」と代弁し、「一人でポンと古里に戻っても生活できない。行政が受け入れ態勢を充実させて」と訴えた。
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